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布団の歴史とは?私たちが使っている布団のことを深く知ろう!

布団の歴史とは?私たちが使っている布団のことを深く知ろう!

布団の歴史

何気なく使用している布団ですが、その歴史が意外と古いことをみなさんはご存知でしょうか。 日常的に使ってはいるけれども、あまり布団のことを深く考えたことはないという人が大半ではないでしょうか。

本記事では、そんな布団の歴史について詳しくご説明したいと思います。

布団の歴史

布団の歴史

布団は、かなり古くから私たちの生活と密接に関わっています。

その歴史を紐解くと、約1万年以上も昔から就寝時等において使用されていたと言われているのです。

それだけ、私たちと布団とは切っても切れない関係にあるということですね。

ここからは、各時代の特徴などについてご説明したいと思います。

  • 縄文時代~弥生時代
  • 奈良・平安時代
  • 鎌倉・室町時代
  • 戦国・江戸時代
  • 明治時代
  • 昭和以降
  • 布団の由来・語源
  • 現代における使用法
  • 手入れと保管

縄文時代~弥生時代/約1万4000年前~3世紀

現代の敷布団に近い形状のものは、当時は「むしろ」と称されていたのです。

むしろとは、かや・藁・稲・蒲等を編むことによって構成した敷物であり、ゴザとも称されています。

発見された経過は、和歌山市にある西田井遺跡にて弥生から古墳の時代に使用されていた竪穴式住居において、ベッドとして使用されていた木幹跡が確認されたのです。これらの痕跡を確認すると、当時では丸太などを使用しており現代におけるベッドに近似したものを使用して就寝していたと思われます。これは、地面よりも低い位置にある土間において毛皮などを設置して就寝することによって、雨をしのぐことや虫などの被害を軽減させることを目的としていたのではないかと考えられています。むしろは、藁及びい草といった草を織り込んだ簡易的な敷物であり、菰とも称されていたのです。

また、現代同様に掛布団に近いものも使用していた形跡が確認されています。衾(ふすま)と称されるものであり、家の中で使用されている襖(ふすま)を連想される方がいらっしゃるかもしれませんが、それとはまったくの別物です。古代から鎌倉時代において、掛布団に該当するものが衾なのです。

ふすまの語源は、「臥すの裳」から来ていると言われ「伏して寝る着物」と表現できることから「ふすも」と呼ばれ、この言葉が年月をかけて「ふすま」へと変わっていったのではないかと考えられているのです。

このように、今よりもかなり簡易的な代物であったことが伺えますね。

奈良・平安時代/710年~1192年

今では、布団を使用する場合ではふかふかの布団で寝ることがほとんどですが、奈良・平安時代では地位の高い人ですら、柔らかくふかふかな敷布団を使用して眠るといった環境にはありませんでした。当時は、敷布団を使用するのではなくベッドを使用して就寝していたとされています。

日本に存在する一番古いベッドは、なんと約1600年前のものです。天平勝宝8年(756年)に光明皇后が聖武天皇の様々な御遺愛の品物を東大寺へと献納した際、それらの品物と同時に献納したのが正倉院御物の寝台(ベッド)です。材質は檜製となっており、大きさは長さ2.375m・幅1.185m・高さ0.385mとなっています。過度な装飾は施されておらず、シンプルな造りが特徴的ですが、外枠の内部では簀子状に8本の部材を用いて構成されていることから非常にがん字ような造りとなっており、そのうえに何らかの敷物を設置して使用されていたと考えられています。

なお、正倉院には同系列のベッドがもう1つ存在しており、2つ並べて配置すると正方形を形作ることが可能となっています。そこに帳(とばり)を設置して就寝していたと推測されています。

鎌倉・室町時代/1192年-1573年

この時代に創作されている、一遍上人(1239- 1289)絵伝があります。この作品において、畳を運びこみ臥所(ふしど)の段取りしている僧侶の絵が確認されています。縁の下のところには、菰(こも)を使用している者と着ていた物を掛けた乞食が就寝しているのです。このらの内容から、この時代を生きていた僧侶においては、敷布団を使用していたのではなく、畳を使用して就寝していたと考えられています。

これらの背景からも分かるとおり、この時代においては掛布団の概念が存在しておらず、貴族等の地位の高い人ですら自分自身が来ていた着物などを掛布団代わりとして使用していたのです。また、当時の資料を確認していると、就寝時においては衣服を着用しておらず裸で就寝することが一般的だったと考えられているのです。

なお、この事態になって初めて木綿が登場します。日本において、初めて木綿の種子が確認されたのは、日本後記や類聚国史で確認できます。これらの内容を確認すると、延暦18年若しくは19年(799~800)に起こった出来事であると考えられています。木綿そのものではなく、種子からの栽培ということで、最初はなかなか成功しませんでした。数々の失敗を乗り越えて木綿の生産がうまく行き出したのは明応年間(1492~1500)になってからのことでした。

16世紀はじめには、三河の木綿は奈良の市場にも出回り始めて販売さた経過があります。永禄の初め(1558~1569)においては、三河の商人が「きわた」「みわた」等を京都へ運び込んだことが言継郷記で確認できます。

戦国時代にまで遡ると、木綿の栽培はこれまで以上に上手く行くようになり日本全国においても面が流通し始めたのです。木綿は、日常の衣類としても活躍していましたが武具・陣幕・旗指物等の軍で使用される品物や火縄銃の火縄の材料としても重宝されていたのです。

戦国・江戸時代/1467年‐1868年

戦国時代になると、綿が普及して市場への流通が活発化されます。それらに起因して、今までは羽織っていたものをかけるだけだったものが、掛布団として別個の品物が使用されるようになって来ます。この時代では、掛布団のことを夜着と称していました。

16世紀後半頃から夜着の存在が確認されており、一部の地位の高い人間にて普及し始めたのが17世紀前半頃です。

夜着は、現在の掛布団とは少々趣が変わっており綿が入っている着物の形状を模していました。名称は、【かいまきふとん】とも称していました。かいまきふとんの大きな特徴は、肩まで覆う大きさであり保温性に優れていることです。元は、鎌倉時代まで遡ります。武士が着用していた湯帷子と浴衣の原型がこれだと言われています。生地の品質は様様であり、品質の良いものでは絹を使用しており友禅染が施されていました。一般階級においては、麻や木綿を藍染にしてものが多く見受けられます。

明治時代/1868年‐1912年

この時代では、非常に安い外国製の綿が日本へと入って来ます。そのことを起因として、綿布団が世間一般にも広く流通し出したのです。

しかし、良いことばかりではありませんでした。

外国製の綿を使用した吸湿性の高い綿布団でしたので、万年床が一般的であった庶民の暮らしではカビの大量発生に悩まされていたのです。そのことから、明治後期ではカビへの対抗策として押入れの概念が普及しました。現代同様、布団の上げ下ろしが始まったのはこの頃からです。

昭和以降/1926年~

明治後期から押入れの概念が普及しだしたのは先述のとおりですが、実はもっと古い時代から押入れはありました。押入れに関する記述で最も古いのは、宝永年間(1630頃)の西本願寺書院で確認されたものです。

綿布団は確かに場へと流通していましたが、当時は非常に高価なものでした。そのたる、気軽に購入できるものではなかったことが推測されます。そのため、代替品として「わら布団」がしよされていました。わらの上に薄い綿の布団を重ねてシーツを敷いて使用していたのです。これでも裕福な家庭しかできなかった対応であり、経済的にもっと厳しいところはわら布団のみを使用していたとされています。

布団の由来・語源

布団とは、禅僧が座禅のときに用いる「蒲の葉」で編んだ円い敷物のことでした。円い蒲という意味を持っており「蒲団」と表現します。唐音では「ふとん」と読みました。室町時代末頃では、綿や布で包まれた座布団みたいな敷物で製作されており、「蒲のふとん」と同様の用途で使用されていました。

現代における使用法

日本では、昔から畳の上に敷き布団を設置して眠るのが一般的でした。最近では、ベッドの上に直接敷くことやマットレスを敷くことも一般的となっています。

手入れと保管

布団を敷いたままであると、カビの発生などによって快適に使用することができません。そのため、布団は上げ下ろしを必要とします。

また、布団を屋外に干すことによって日光消毒が期待できます。これを行うことによって、ダニの殺虫効果も期待できるのです。最近では、家庭用の布団乾燥機などを使用することも効果的です。

布団で快適な眠りを!

布団の歴史

ここまで、布団の歴史についてご説明させて頂きました。

意外と布団の歴史が深いことを知ってもらえたと思います。

本記事をご覧になられた方が、少しでも布団に興味を持って頂けたのであれば幸いです。

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