野口健吾さん
うなぎのせいろ蒸し、川下り、手まり、掛川織など、数多くの特産品が名を連ねる福岡の名所、柳川市。清らかな堀割が縦横無尽に並ぶのどかな街の一角に、全国有数のい草染色専門の会社がある。

「株式会社 野口いぐさ」。この柳川の地で、70年にわたってい草の染色を行う老舗の会社である。

今回、野口い草の3代目社長・い草染め職人の野口健吾さんにお話を伺った。「お客様にどう喜んでいただくか?」を第一に考える野口さんが語る、ものづくりへの思い、い草への思いとは?

世間のトレンドを意識する

染色中のい草
い草染色専門の会社と聞いたときのイメージから意表をつく、真新しい黒い平家が、野口い草の仕事場である。表にはその建物の真新しさと対比するかのように、「野口イグサ染色」と手書きで書かれた木造の看板がかけられている。

い草と染料を煮込んだ心地よい香りが漂う仕事場。染色用の釜から出てくるもうもうとした湯気が立ち込める中、体格のよい、穏やかな表情をした一人の男性が姿を現した。この方が、野口い草の3代目を務める、野口健吾さんその人である。

「緊張しますね」。

明るく大きな声でそういうと、野口さんは笑った。

セッティングが完了し、早速取材に入らせていただいた。湯気が立ち込める蒸し暑い仕事場の中で、薄手のシャツ1枚で佇む野口さんの身体には大量の汗が流れている。

まずは野口さんに、仕事の工程について伺った。

「仕事の工程ですが、まずはい草を3kgに測って、それからい草をゴムバンドにはめて、お湯の中につけて染色していきます。染色が終わったらい草を整えて、脱水して乾燥させたら終了です」。

ニコニコとした笑顔を見せながら語る野口さん。続いて、染色そのものがどのような仕組みになっているかについても語っていただいた。

「染色は、染料を溶かしたお湯をい草に染み込ませる作業になります。

染料はヘアカラーやカバン、革製品などにも使われているのと同じものを使っています。 アメリカの検査機関できちんと検査された安全性の高い染料ですので、肌に直接触れても安心です」。


当然のようだが、この染色の作業が仕事の中で一番重要なポイントとなってくる。

その中で最も大事なのが、い草の染まり具合。

ムラがなく綺麗に染めるためにはどうすればいいか?を念頭に、お湯の温度や染料の配合を丁寧に調整する。染める色によってもお湯の温度は変わってくるらしく、この仕事の奥の深さに驚かされる。

ではい草の染まり具合はどのように見極めているのだろうか?野口さんはこう語る。

「染まり具合は基本的に目視で確認しています。感覚が一番です。

染色の具合の見極め方は、日々の研究が大事です。例えばグレーに染めるとなっても、服などでも一緒ですが、淡いグレーが好まれたりします。

お客様がどのように選ぶかは、やはり世間のトレンドが一番近いと思うので、そこを大事にしています」。


世間のトレンドを一番に考えて染色をする。ものづくりのプロとしての研究熱心な姿が、言葉の節々から感じられた。

お客様にどう喜んでいただくか

い草の引き上げ
い草の染色は機械染めと手染めの二つの方法があるが、野口い草では創業以来一貫して手染めでの染色を行っている。

高い技術力が要されるい草の手染めができる職人は、全国に3人しかおらず、野口さんもそのうちの1人である。

野口さんは、仕事の中で一番こだわっているポイントについてお話ししてくれた。

「やはり綺麗なデザインにしたいので、色ムラができないように染めたいなと思っています。 (い草の)内側と外側では色が変わってくるので、染める途中、い草を触って内側と外側をひっくり返す作業をしています。

実はこの作業が一番大変で、95度の熱湯に手袋をつけている状態で手を入れるのですが、この仕事を始めたばかりの頃は毎日のように火傷をしていましたね。本当に気が抜けない作業です」。

元々別の仕事をされていたが、2代目であるお父様の体調の都合でこの仕事を継ぐこととなったという野口さん。明るい笑顔の中に、この仕事を始めた当初の苦労が垣間見えた。

「すごく大変なお仕事ですよね」。不意に私たちの口から出た言葉に、野口さんは穏やかにこう答えた。

「大変は大変なのですが、私が大変なのとお客さまが喜ぶのとは違います。

私が目指すのはお客さまにどう喜んでいただくかということなので、そこは大変というよりも、むしろ嬉しさの方が大きいです。使う方がいかに喜ぶかということが、私の中では一番大事なことです。

そのためにも、い草のことについてはもちろん、染料や染色、あとは植物を染めること自体についても日々勉強しています」。


どこまでも謙虚な姿勢と飽くなき探究心に、誇り高き職人としての姿を見させていただいた。

何色にでも染める

染めい
野口さんの現場には、赤、青、黄、緑、紫、オレンジ、グレー、ピンクと多彩ない草たちが並んでいる。

いったい何色まで染めることができるのだろうか?そんな素朴な疑問に、野口さんはこう答えてくれた。

「基本的には、何色でも染めることができます。100種類以上は常に染められる状態です。大方の色の染料の配合は頭の中に入っていますので」。

どんなときでも、どんな色にも染めることができる。そんなことができるのも、日頃の研究の賜物だろう。続けて、一番染色が難しい色についてもお話いただいた。

「一番難しい色は、これはもうグレーですね。中間色と言って、チャコールグレーなど女性ウケするような色が一番難しいです。

そのような難しい色に関しては、い草を触ったり品種を見たり、あとは香りや手触りなどで染料の配合を少し変えています。

あと育ってきた環境でも変わってきます。同じ産地でも、海沿いと山沿いとでは品種が同じであっても、皮の厚みとか硬さとか膨らみ具合とかが、ちょっと違います」。


品種、香り、手触り、果ては産地や立地などで、染料の配合が変わってくる。「い草にはそれぞれ個性がある」。そう語っていらっしゃったとある職人の方の言葉を思い出した。果てしなく奥深い、い草の世界の入口に立たされた気持ちだった。

人類にとっていいもの

い草ラグ
い草の染色だけでなく、い草ラグ、い草クッション、い草インソールなど、多種多様ない草製品の販売も行なっている野口さん。い草製品はどのような方に使っていただきたいですか?という質問に、野口さんはこう答えてくれた。

「どのような方というのは特になくて。快適に使っていただけるのが一番だと思っています。使ってよかったなと思っていただける商品を作りたい。あなたにとってベスト。という感じでしょうか」。

冗談めかした口調で野口さんはこう続けた。

「例えばなんですけど、夫婦の間でエアコンバトルというのが夜に勃発するんですよ(笑)夫が「暑い」と言って温度を下げたら、妻が「寒い」となると。でも夫側に寝ござを敷いたら蘇れがなくなるんですよ。なんでかと言ったら、寝ござで体温が下がって気持ちよくなるから」。

ユーモアを交えながら、い草の魅力について語っていただいた。

最後に野口さんは、い草にかける思いをお話ししてくれた。

「このように、いろんなメリットがい草にはあります。なのでい草製品を使っていただいて、『本物だ』と思っていただいて、い草を見直していただける機会になっていただけたらと思います。

い草というのは、誰にとってもいいもの、人類にとっていいものだと思うんですよ」。


「い草は人類にとっていいもの」。その言葉に、い草への深い信頼と、い草に関わることができる、この仕事への誇りを感じられた。改めて、い草の素晴らしさについて知ることができるお話しだった。
インタビューに答える野口さん
野口さんのい草への飽くなき探究心と挑戦はこれからも続いていく。
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Tomohiro

地場の仕事に興味を持ち、イケヒコに入社。当初はい草の“い”の字も知らなかったが、今では2LDKの賃貸に置き畳とい草ラグを敷き詰めるほどのい草好き。もちろん布団の上には寝ござ。将来の目標は柴犬を飼うこと🐶