全2回にわたってお送りしている、「こたつの歴史」。前回は、こたつが誕生した室町時代から、広く庶民に使われるようになった江戸時代までの歴史を見てきました。

こたつといえば、家族や友達と賑わう団らんの時間が醍醐味ですが、ではいつからこたつは、「団らんの象徴」として日本人に愛されるようになったのでしょうか?

第2回目の今回は、明治から戦後までのこたつの歴史を辿りながら、こたつが「団らんの象徴」として日本人に愛されるようになってきた経緯を見ていきます。

前回のお話はこちら

暖房器具の多様化

江戸の幕末から明治にかけて、開国の影響で西洋の文化が日本に取り入れられるようになりました。「文明開化」です。

都市部のお金持ちは、洋服を着てみたり、ちょんまげの髪を切ってみたりするなど、「西洋のものなら何でもよい」の精神で、こぞって新しい西洋の文化を取り入れていきました。
日本初の鉄道
明治時代の銀座(東京銀座要路煉瓦石造真図/歌川国輝画 二代 より)
街にレンガ作りの頑強な建物が増えていくなか、ストーブの本格的な輸入・製造も始まりました。

今ではお馴染みのストーブですが、当時は「置き暖炉」と呼ばれ、薪や石炭を原料にしていたと言われています。

大正時代になると電気・ガスなどのライフラインが普及し、石油ストーブ、ガスストーブ、電気火鉢、電気ストーブが登場するなど、暖房器具の多様化が急速に進みました。
だるまストーブ
当時の石炭ストーブの主流である、だるまストーブ
しかし、あくまでそれは都会でのお話。変わらず庶民の間では囲炉裏や火鉢、そしてこたつが使われていました。機密性の高い西洋の住宅環境で誕生した部屋全体の空気を暖めるストーブと、風通しのよい日本家屋は相性が悪かったのかもしれません。

掘りごたつを生んだイギリス人

新たな暖房器具が登場する一方で、こたつも更なる発展をみました。

明治時代には、それまで火鉢を使用していた「置きこたつ」に専用の熱源が誕生。小さな火鉢を木や石で囲ったもので、庶民の間に大いに広まりました。
置きこたつ
置きこたつ(水巻町歴史資料館所蔵)
明治末期になると「掘りごたつ」が登場。日本在住のイギリス人陶芸家バーナード・リーチの自宅に作られた堀りごたつが、日本で初めて一般住宅に向けて作られた掘りごたつと言われています。
バーナードリーチ
掘りごたつの発案者で、陶芸家のバーナード・リーチ(アサヒカメラ 第38巻 第6号/朝日新聞社より)
正座が苦手だったバーナード・リーチ本人が、「足を伸ばして座れるこたつを作れないか?」と考えたのがきっかけだったそうで、このことを作家の志賀直哉と里見弴が随筆で紹介したことが宣伝となり、庶民の間に広まったと考えられています。

電気こたつのヒット

昭和初期になると、置きこたつの熱源を電気式にした「電気こたつ」が登場。

昭和4年に松下電器製作所(現:パナソニックホールディングス)が発売した「ナショナル電気こたつ」は、温度調節、安全装置などの先進的な機能が評判を呼び、初年度には4万5千個、次年度には倍の8万個の売上を誇る大ヒット商品となりました。
ナショナル電気こたつ
ナショナル電気こたつの新聞広告(東京朝日新聞 昭和8年11月22日より)
ちなみに、ナショナル電気こたつのヒットを受け、創業者の松下幸之助さんは「ナショナル電気こたつを各家庭の必需品とすることに使命を感じる」と、自社の企業広告において語っています。相当な力の入れようだったわけです。

こたつテーブルの開発へ

広く庶民に親しまれたこたつでしたが、その頃のこたつには、足を自由に伸ばせないという課題がありました。

「掘りごたつを作るのにも手間がかかる、もっと手軽に足を自由に伸ばせるこたつができないか?」

そんな悩みを解決するために考えられたのが、現在まで広く親しまれている「テーブル式のこたつ」でした。しかし、その普及には長い時間がかかりました。

昭和10年に販売が開始された「安全反射こたつ」は、テーブルの天板に熱源と反射板を取り付けた、現在のこたつテーブルとほとんど遜色がない商品でしたが、全国的な普及には至りませんでした。
安全反射こたつ
安全反射こたつのチラシ
他にも、テーブルの天板に電球を取り付けた「上部加熱式やぐらこたつ」の実用新案が登録されましたが、製品化には至らなかったと言います。

そして戦争が始まり、敗戦を迎え、文化の発展は一時的にストップしてしまいます。

東芝「電気やぐらこたつ」の大ヒット

転機となったのは、昭和29年から始まった高度経済成長。朝鮮戦争による軍需の影響により、日本経済は飛躍的に発展。都市部には高層ビルが立ち並び、都市高速、新幹線など、現在も私たちが利用する交通インフラが誕生しました。

生活文化においては、冷蔵庫、テレビ、洗濯機に代表される「三種の神器」が登場。庶民たちの憧れの的となりました。
白黒テレビ
昭和30年代のテレビのチラシ。現在の価格で100万円近くするほど高価なものだった
日本が急速な発展を進める中、こたつも転機を迎えます。

昭和32年「電気やぐらこたつ」が東芝より発売。テーブルの天板に電気ヒーターを取り付けたこの商品は、現在のこたつテーブルの原型を生み出しました。

気軽に足を伸ばして暖まることができる「電気やぐらこたつ」はたちまち大ヒット商品となり、多くの家庭に普及。大手家電メーカー各社も次々にこたつテーブルの製造に着手し、電気やぐらこたつのヒットから最大ピークを迎える17年の間に、4500万台のこたつテーブルが売れたと言われています。
電気やぐらこたつ
東芝電気やぐらこたつのCM

最初期のこたつには“天板”がなかった?

広く庶民に親しまれたこたつテーブルでしたが、最初期のこたつテーブルには、現在のこたつテーブルについている“あるもの”がありませんでした。

それは、「天板」です。
天板のついていないこたつ
昭和30年代に撮影された写真。天板がなく布団の上に直接、物が置かれている。(朝日新聞 2014年11月22日 朝刊より)
こたつに天板がつくようになったのは、旅館などでこたつが食卓の代わりに使われたのがきっかけと言われており、 昭和34年頃に、天板付きのこたつが一般家庭に広まったと考えられています。

漫画サザエさんにも、この年の秋頃からこたつの上で食事を摂るシーンが描かれています。
サザエさん
昭和31年の冬に発表されたサザエさんからの1コマ。マスオが使っているこたつには天板が描かれていない(長谷川町子全集 9巻/長谷川町子 朝日新聞出版社より)
サザエさん
一方、昭和34年の冬に発表されたサザエさんからの1コマ。磯野家が使うこたつに天板が描かれている(長谷川町子全集 13巻/長谷川町子 朝日新聞出版社より)
室町時代よりこたつが誕生して約500年。こたつテーブルと天板が揃ったことで、こたつは団らんの象徴として、日本人に愛されるようになったのです。

「冬にもやさしい」住宅へ

昭和49年、こたつテーブルの出荷台数はピークを迎えます。その数はなんと368万台。こたつは全国の家庭に行き渡りました。

しかし、昭和40年代から徐々に始まった公団住宅の建設やニュータウンの増設により、日本に鉄筋コンクリート製の機密性の高い住宅が増えることとなりました。

これにより、冬の過ごし方も、暖かいこたつに家族全員で集まる過ごし方から石油ファンヒーターやエアコンなどを使って部部屋全体を暖める過ごし方へと変化してきました。

いつしか、「冬に優しくなかった」日本の住宅は、「冬にもやさしい住宅」へと変化してきたわけです。

断熱性や気密性に優れた住宅へのニーズは平成以降更に高まっていくこととなり、こたつの生産台数にも影響を与えます。

平成2年に178万台だったこたつの生産台数は、平成15年になると24万7千台にまで減少。平成16年には調査対象からも外されてしまいました。(経済産業省・生産動態統計調べ)

こたつを“楽しむ”時代へ

現在では、夏でも使える家具調こたつや、一人暮らし用の省スペースこたつなど、こたつも時代のニーズに合わせて形を変化させています。

また、オシャレなデザインのこたつ布団も数多く販売されるなど、こたつは、いち暖房器具からインテリアとして楽しむものに変化しています。
ギャべ柄こたつ布団
オシャレなギャベ柄のこたつ布団
また、居酒屋やビアガーデン、屋形船に設置されたこたつが人気を呼ぶなど、体験価値としてこたつを楽しむ機会も増えています。

こたつ文化の継承

以上がこたつの歴史です。

日本家屋の特性から生まれた生活の知恵“こたつ”は、時代の発展と共にその様式を変えていき、日本独自の文化として発展しました。

家族や友人と一ヶ所に集まって、団らんを楽しむ時間が少なくなった今だからこそ、こたつが提供してくれる暖かな団らんの時間は、再度見直されるべきではないでしょうか?
ギャべ柄こたつ布団
長い歴史の誇りを胸に、こたつ文化の継承を私たちは願っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

編集後記
「電気やぐらこたつがヒットした意外な理由」

本編で登場した東芝の「電気やぐらこたつ」ですが、販売開始当初はあまり売れ行きが良くなかったそうです。しかし、ある部品を変更したところ爆発的なヒットを見たそう。そのある部品とはなんと・・・

電球の色

だったそうです。」

と言うのも、販売当初の電気やぐらこたつの熱源は白の電球を使っていて、消費者からは

「こんなもので本当に暖まるのか?」

と疑問の声が上がっていたそう。

そこで、電球の色を赤色に変えて「太陽赤外線」と言うキャッチコピーで宣伝をしたところ売り上げが伸び、爆発的なヒットにつながったそうです。
赤いこたつ
確かにこたつの中は赤々と照らされている方が、暖かい印象がありますよね。 

参考文献の紹介

今回こちらの記事を書くにあたり、以下の文献を参考とさせていただきました。(順不同・敬称略)
  • 「石城日記 第2巻/尾崎石城」慶應義塾大学文学部古文書室
  • 「サザエさんをさがして/柏木友紀」朝日新聞2014年11月22日朝刊
  • 「長谷川町子全集/長谷川町子」 朝日新聞出版
  • 「日本の生活道具百科2/中林啓治」河出書房新社
  • 「日本人の住まい/宮本常一」百の知恵双書
  • 「新聞広告で見つけよう!2」くもん出版
  • 「衣食住にみる日本人の歴史 2,3,4/西ケ谷恭弘著」あすなろ書房
  • 「くらベてみよう100年前と今/本間昇」岩崎書店
  • 「衣食住の歴史/西本豊弘」ポプラ社
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Tomohiro

地場の仕事に興味を持ち、イケヒコに入社。当初はい草の“い”の字も知らなかったが、今では2LDKの賃貸に置き畳とい草ラグを敷き詰めるほどのい草好き。もちろん布団の上には寝ござ。将来の目標は柴犬を飼うこと🐶