寒い冬の日にこたつに入ってぬくぬくと温まる時間って、たまらないですよね。家にこたつがないという人でも、友達の家にこたつがあるとなんだか嬉しい気がしませんか?

ところで“こたつ”って、いつからあるか知っていますか?・・・意外と知らない人も多いんじゃないでしょうか。

今日はそんな、 あなたの知らないこたつの誕生ヒストリーについてご紹介。先人たちの知恵と努力、思わず誰かに話したくなるトリビアなど、好奇心くすぐるこたつの歴史を、前編・後編の全2回にわたってご紹介します。

第1回目の今回は、こたつの原型が誕生したとされる時代から、その姿・形が急速に発展した江戸時代までの歴史をご紹介します。

室町時代に誕生した、こたつの原型

こたつの歴史は、今から約600年前、室町時代にまで遡ります。

当時の日本人は、家屋に備え付けられていた囲炉裏を使って暖を取っていましたが、この囲炉裏の上に衣服を被せて足元を暖めたことが、こたつの誕生のきっかけであったと言われています。
囲炉裏
また衣服に囲炉裏の火がつかないように囲炉裏の上にやぐらを組んだとも言われていますが、ではなぜ当時の日本人はそのような暖の取り方を考えたのでしょうか?

そのきっかけのひとつとして考えられるのは、当時の日本家屋の特徴です。結論から言うと、 当時の日本家屋は「冬にやさしくなかった」のです。

夏にやさしく、冬に厳しい。日本のお家事情

当時の日本家屋の特徴を知ることができる文献があります。それはなんと日本三代随筆のひとつ「徒然草」です。「つれづれなるままに〜」という言葉を学校で習った方も多いかもしれません。
囲炉裏
随筆とは、人生の教訓や生活の知恵などが描かれた、現代で言うところのエッセイやブログのようなものになりますが、実は徒然草には当時の家づくりの極意が書かれています。

ちょっとどんな内容か見てみましょう。

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比(これ)わろき住居は、堪へ難(たへがた)き事なり。

引用:徒然草 第五十五段/吉田兼好著


これではよく分からないので現代風に言うと

家を建てるときは、夏を基準にするべきだ。冬はどんな所でも住むことができる。程度の悪い家で過ごす夏ほど、暑く耐え難いものはない。

このような意味になります。とにかく夏の暑い日を快適に過ごせる家づくりが大事!と言う、吉田兼好の(熱い)思いが見て取れます。ちなみにこれ、吉田兼好がとある建築士から聞いた話のようで、そう言われるとなんだか説得力がありますよね。

何もそこまで冬をなおざりにしなくてもいいじゃないかと言いたくなる気もしますが、四方を海に囲まれた多湿の日本。地球温暖化なんて言葉は当時なかったにせよ、ジメジメとした暑さをいかに乗り切るかということは、なかなか切実な問題だったんじゃないでしょうか。
昔の日本の家
つまり湿度のこもらない通気性の良い家づくりが、当時の家に求められる大前提であったわけです。「風通しのいい家がいいですよ。そっちの方が夏は涼しいですから」なんてセールストークを、当時の建築士は言っていたのでしょう。

誰かの閃きが生んだナイスアイデア

しかし「あぁ、ではそんな家にしてください」と言って通気性のいい家が建ったのはいいものの、夏も終わり秋が来て、冬の到来を迎えてしてしまうと「夏にやさしい家」も「冬に厳しい家」へと様変わり。

家の中には隙間風がヒュ〜ヒュ〜と吹き込み、寒いことこの上ない。「風通しのいい家にしたばっかりにこんなことになって。あの建築士め!」そんな後悔を当時の日本人は抱いたのかどうか。
天井の梁
当然、ストーブもエアコンもない時代。暖の取り方といえば細々と囲炉裏を炊くぐらい。暖かい空気は家にこもらず温度も上がらない。

「せめて足元だけでも温めたい・・・」

当時の日本人はそう考えたのでしょう。そんな切実な悩みを解決するために、どこかの誰かが、囲炉裏の上に衣服を被せると言うアイデアを思いついた。

これが、こたつ誕生のきっかけであったと考えられているわけです。

幕末の武士が描いた、江戸時代のこたつ

このように、どこかの誰かのナイスアイディアから生まれた生活の知恵「こたつ」も次第に全国へと広まっていったようで、時代が進み江戸時代になると更なる発展をみたようです。

情勢の安定した天下泰平の江戸時代には、現代まで受け継がれる様々な商業・文化・芸術が発展しました。それと共に、庶民の生活文化も急速に発展。末期に至っては、それまで「貴族の暮らし」と羨望を得ていた習慣さえも、一般庶民が送れるまでになったとも言われています。畳を敷くこともそのうちの一つであったとか。
ござの製織
畳職人が誕生したのもこの頃
急速な発展はこたつにおいても同じようで、熱源を囲炉裏から火鉢に変更した「置きこたつ」が登場。こうすることで、いつでもどこでもこたつで暖まれることが可能になりました。

さらには囲炉裏の周りを床より下に下げることで大人数の人たちが入れることが可能になった「大こたつ」も登場。町の商人たちが大勢集まってこたつで暖まったと言われています。

忍藩(現在の埼玉県)の下級武士、尾崎石城が記した「石城日記」は、当時(1861年-1862年。いわゆる幕末)の武士の暮らしが詳細に描かれた貴重な資料ですが、実際に武士たちがこたつを使用している様子も、この日記には描かれています。
石城日記
(石城日記/尾崎石城著)より
武士が二人、こたつに入ってくつろいでいる姿が分かります。大きさ的に「置きこたつ」を使っているのではないかと推測されますが、よ〜く見ると、上に掛けているのは衣服ではなく布団であることが分かります。
石城日記
綿産業が町民の間で広まったのもこの時代。それに伴い木綿布団の生産も開始されました。しかし、当時の木綿製の布団は現在の価格で600〜900万もしたと言われる、超がつくほどの高級品。火事の際は一番に布団を持って逃げたと言う逸話が存在するほど。そんな高級品をこんな使い方をするわけがない。

恐らくこの日記に描かれた布団は、当時の一般的な寝具として使用されていた藁布団ではないかと考えられます。

どちらにせよ、寝具としての「布団」を「こたつ布団」として使用しだしたことは確かです。

このように、室町時代に誕生した生活の知恵も、世相の変化や文化の発展と共に、その姿・形を徐々に変えていったわけです。

後半へ続く

以上、室町時代から江戸時代にわたっての、こたつの歴史でした。

後編では、こたつの暖房器具としての発展を、明治から戦後までの歴史に沿って見ていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

後半へ続く。

編集後記

こたつの語源。こたつは何で“こたつ”と呼ぶの?

歴史を調べていく上で、気になってくるのがその物事の語源。ここでは、こたつの語源について紹介していきます。

こたつの語源について正確なところはわかっていませんが、最初の頃はこう呼ばれていたという説があります。

「かとうし」と。

どういうこっちゃ?という感じかもしれませんが、今でいうところの車の役割を果たしていた牛車。この牛車を駐車するときに使用していた車止め、通称「榻(しじ/とう)」が、衣服への引火を防ぐために、囲炉裏の上に組まれたやぐらの形に似ていたわけです。
宮殿調度図解
牛車のイメージ図(宮殿調度図解/関根正直著)より
一番右下の台が、「榻」です。確かにやぐらみたいな形をしています。
宮殿調度図解
そこから囲炉裏の上に衣服をかけて暖を取ることを、「火を使った榻の椅子」略して「火榻子(かとうし)」と呼ぶようになったそうで、これが訛り「かたつ」となり、次第に「こたつ」と呼ぶようになったそうです。
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Tomohiro

地場の仕事に興味を持ち、イケヒコに入社。当初はい草の“い”の字も知らなかったが、今では2LDKの賃貸に置き畳とい草ラグを敷き詰めるほどのい草好き。もちろん布団の上には寝ござ。将来の目標は柴犬を飼うこと🐶