「頭のよさ」の多様化

「頭がいい」と言われて不愉快になる人は、まぁそうそういないだろうなと思う。

ただ「頭のよさ」って何を基準にすればいいのか、分からないところがある。本屋やネットを覗くと「“本当に”頭のいい人の特徴」とか「“本当に”頭のいい人の話し方」という言葉をよく見かけるが、いろんな価値観が多様化している中「頭のよさ」も多様化してきたんだろうか。

名門校に合格したとか大手企業に勤めているとかが決して「頭のよさ」とイコールでないことくらい、誰しも分かっている。「本当の頭の良さとは何か?」を社会全体で考えていく、そんな気運すら感じる。

頭の回転が速いか遅いか

「頭がいい」という言葉を耳にする一方で「頭の回転が速い」という言葉もよく耳にする。

実際自分が今まで出会ってきた「頭のいい人」と言われる人は、みんな「頭の回転が速い」人だった。その場を和ませるジョークだったり、有事での的確な判断だったりを、「うーん」と考える間もなく、サッと取り出すそのスピード感。

私自身、そんなに頭の回転が速いわけではないのもあって(というか頭の回転の速い人はそもそもこんな回りくどい文章は書かないだろう)あぁ自分もこんな風になれたらなぁなんて、羨望の眼差しでその人たちを見ていたことも、恥ずかしいようだけどあった。特に、まだ”明確な自己”が確立されていない10代から20代前半の時なんか。

最近では30代も近くなってきて面の皮が厚くなったのか、「何も頭の回転の速さだけが全てじゃないよな」と思えるようになってきたけど。

ただ、私自身の経験から考えると、「頭がいい」とは「質の高いアウトプットができる」ことなのではないかと思う。プレゼンがうまいとか文章がうまいとか。人を「おっ!」と思わせるようなアウトプットにこそ、その人の「頭の良さ」というのは表れる。「頭の回転の速さ」と言うのも、このアウトプットのスピード感のことを言うのではないだろうか。

じゃぁ、アウトプットの”質の高さ”って、何を基準に測ればいいんだろうか?

「人間らしい時間」を作り出す

ある日車の中でラジオを聴いていたら、こんな言葉が耳に入ってきた。

「今必要とされている頭の良さって、人間らしい時間をいかにして作り出せるかということなんですよ」

純粋に、「あぁなるほどなぁ〜」と思った。

人間らしい時間を作り出す。人間らしいってところもそうだけど、時間を作り出すってところが含蓄(がんちく)があっていい。こういう格言を生み出すのも質の高いアウトプットの一例だ。

いずれAIに取られてしまう人間の仕事は何か?という悲観的な議論は、本当の頭の良さとは何かってところから端を発していると思うけれど、人間にしかできない仕事は何だろう?という希望を、その言葉から感じられた。

人間が、人間らしくいられる時間

人と人がリアルで顔を突き合わせて、他愛もない話で盛り上がる。そこで流れている時間こそ、まさに人間らしい時間であると思う。

長いコロナ禍で人と人とがリアルで顔を突き合わせる時間が減ったからこそ、そんな「人間らしい時間」の価値が見直されてきたんじゃないか。

「頭のいい人を目指す」なんて言うと卑近な気もするが、質の高いアウトプットを行なっていくことで、「人間らしい時間を作り出す」のを目指していきたい。そう思う秋の1日だった。
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Tomohiro

地場の仕事に興味を持ち、イケヒコに入社。当初はい草の“い”の字も知らなかったが、今では2LDKの賃貸に置き畳とい草ラグを敷き詰めるほどのい草好き。もちろん布団の上には寝ござ。将来の目標は柴犬を飼うこと🐶